百夜月伝説
熊野市街地から撮影まで約32㎞です。(熊野市紀和町百夜月)
年内に一度いきたいと思います。 山を越えるか、川を渡るか?
竹筒から 500m 程下流の三重県側に百夜月(ももよづき)という集落がある。
集落といっても現在、民家は一軒しかない。正式には三重県熊野市紀和町花井
(けい)である。
百夜月・・・どことなくおとぎ話にでも出てきそうな地名である。何故こう
呼ばれるようになったのか。次のような昔話が残っている
竹筒の少し南の北山川の対岸に、百夜月(三重県紀和町)という村がある。
そこに、光月山紅梅寺(こうげつさんこうばいじ)という古い寺があった。寺
の庭には紅梅があり、春にはたいへん美しい花を咲かせ、よい香をあたりに漂
わせていた。
寺には、一人の美しい尼さんが住んでいた。毎日、仏の教えを広めるために
行をしたり、読書するなどして静かに暮らしていた。また、寺の周りを開いて、
野菜も作っていた。
この尼さんは、近くの村の若者たちのあこがれの的であった。しかし、真剣
に仏の教えを広めたり、読書にうち込んでいる尼さんは、若者たちのことなど
考えてみたこともなかった。
さて、対岸の村に一人の若者がいた。彼は寺の畑でたち働く尼さんの姿を見
てから、心の中は尼さんのことでいっぱいになってしまった。ぜひ会って話が
したいものだと思った。そして、月のない闇夜になる日を待った。
「よし、今夜こそ川を渡り、尼さんに会って来よう。」と決心した。やがて、
夜になった。川の音さえもシーンとして流れているようであった。川底をつき
刺す棹(さお)の音だけが闇の中に響いた。川の中ほどまで来たときである。
対岸の山から突然、大きな月がヌッと顔を出して、あたりが急に明るくなって
しまった。
「これは困った。こんなに明るくなっては、誰かに見つかってしまう。人に
知れたら、尼さんにたいへん悪いことをしたことになる。」と考え直した若者は、
急いで舟をひき返し、とぼとぼと家に帰った。
次の夜も、その次の夜も、また次の夜も若者は北山川を渡ろうとした。しか
し、川の中ほどまできたとき、月の光がまぶしくて、どうしても渡ることがで
きなかった。
「今夜で何度めだろうか。」
若者は、一、二、三と指をくってみた。すると、すでに九十九日目であった。
若者は、このことを母親に打ち明けてみた。
母は、「ああ、なんともったいないことを...。よりによって尼さんを好きにな
るとは......。あの方は、仏の教えをお守りし、広めている方だから、お前なん
か、とてもとても......。そんな気持ちを持つことも恥ずかしいことだよ。」
「あのお月様は、悪いことを人間がしないように、いつも地上を照らしてい
るのだよ。だから、お前が百夜通っても、川を渡ることは、できないのだよ。」
と、諭(さと)した。
若者は、とても悲しんだ。「お月様もあの尼さんを、お守りしているのか。」
それから、尼さんの住んでいる村を百夜月と呼ぶようになった。
ところで、尼さんは、もっと仏の教えを広めたいと考えた。そこで、寺に伝
わる宝物を近くの村々へ分けて祀(まつ)ってもらうことにした。そうすれば、
信仰も広まると考えてのことだった。
まず、花びんを下流の村に分けた。村人達は、紅梅寺の宝物をいただいた、
ということで、お堂を建ててお祀りした。そして、このむらを花井(けい)と
よぶようになった。
川を渡った村には、九重(ここのえ)の重箱を分けた。この村は、これにち
なんで九重(くじゅう)という名をつけた。
上流のむらには、美しく磨かれた竹の筒が分けられた。ここは竹筒(たけと
う)とよばれるようになった。 引用です。